アカハネノログ

心と記憶とお腹に残ったモノの備忘録

祖母と過ごした最期の半年

少し背伸びをした服を着ていくと、祖母は必ずその変化に気づいて、褒めてくれた。

まあすてき!
とっても可愛いお洋服ね
今日は爪が綺麗なのね
ポニーテールが似合うわね

それが嬉しくて、祖母と会える日は、どんな服を着ても似合う自分になれた気がしていた。小さい頃からずっとそう。恥ずかしいけど今だってそう。

 

祖母はいつだって綺麗だった。だらしない格好をしているのを結局一度も見たことがない。

ふわふわの茶色い髪の毛はブラシが良くいき届いて艷やかだったし、

唇には丁度いい紅をさしていたし、

エプロンは様々な柄を何種類も持っていて、台所に立つ姿までもが愛らしい。

 

そして底なしに優しくて、底なしの愛をくれた人だった。

祖母は私が何者でなくても、私を愛し、私の好きなものを信じてくれた。

自分で生きるようになると、自分の価値を知りたくなるし、成果を見て安心するようになる。

それは生きることを楽しむ上で、自分を好きになる上で悪いことじゃないけれど。


今日も私は私の課せられた役割でいれたかな。

誰かを傷つけることなく、誰かと接することができたかな。

自分がかっこいいと思う人達みたいに、自分も大切なものを持てているかな。

そんなことを一日の終わりにぼんやり考えることも、あったりなかったりする。

でもそんなこと、祖母にとっては本当にどうでもいいことなのだ。

私は産まれた時から、今日も、祖母にとって最高の宝物だった。

 

今までだってこれからだって、幾度となく自分に絶望するだろうけれど、その度に、祖母の「いらっしゃい」の声を、笑顔を、思い出そうと思う。

命が終わる瞬間まで、誰かの宝物で在れたことを、忘れないでいようと思う。

 

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97歳で始めて施設に入った。

直前まで一人暮らしをしていたし、遊びに行くと料理を振る舞ってくれた。

相変わらず綺麗な身なりで出迎えてくれたし、背筋だってピンとしていた。

数回、家で転んでしまって「もう上手くできない」自分を自覚して落ち込んで、

自分から施設に入りたい、と口にしてくれたのが、今年の夏のこと。

 

施設に入ってからは、あっという間に、本当にあっという間に「おばあちゃん」になっていった。

人の精神力はここまで身体に影響するものかと驚いた。精神力が強く、たくましく、一人でしっかり生きて、誰にも迷惑かけないように気を張っていたことがわかる。

施設では何でもしてもらえて、だから安心して、自分でできないことが増えていく。

ようやくホッとして終われる準備をしているように見えて、それは祖母のがんばりのゴールのように思えて、だから、私にとっては、全然悲しいことじゃなかった。

 

身体は終わりの準備を始め、食事を取れなくなってきても尚、祖母の頭は鮮明だった。

私は新しい服を着て会いに行き、祖母は「今日のお洋服とっても素敵ね」と言った。

私は「おばあちゃん今日もとびきりかわいいよ」と言う。

「もうシワシワだよ」と笑顔で謙遜する祖母は、本当にかわいくて、少女のようだった。

 

介護施設のレクリエーションは、祖母にとってはちょっとダサいらしい。

折り紙だったり、紙皿にモールを貼ったリースづくりだったり。

「ああいうのあまり好きじゃないの。」と笑う祖母に

数々の学校行事・集団行事を避けてきた私は、その時ようやく

祖母の血、私の血!受け継いでいるよ、そのパッション!と嬉しくなって、

「ださいからいかなくていーよぉーサボっちゃおうよぉー」と笑ったりした。

横で母も「わたしもやだー」と頷いていた。不良女の家計だ。

 

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最後に遊びに行った日は、祖母はもうほとんど寝ていたけれど

目を開けるたびに「だぁれ?」と優しく呼びかけてくれて、私の名前を伝えると「わあーうれしいー」と笑顔になった。

玄関を開けると、廊下の奥で祖母が笑って名前を呼んでくれた幼き日のことを思い出した。走って祖母の胸に飛び込んだことも。

意識があやふやというより、もう日付の感覚があまりないのかもしれない。だから、眠って目を覚ますたびに「きたよ」と伝えた。

 

そんな状態でも、施設の方が食事を(もう殆ど食べられないのだけれど)持ってきてくれたり、身体に保湿クリームを塗ってくれたり、その度に「ありがとう」と感謝を伝える思いやりのある祖母を誇らしく思った。

「くちびるが痛いの」「足の表面が痛いの」と、自分の体調も自分の言葉で伝えていた。

食事を取っていないから身体が乾燥しているみたい。

 

だから、来週塗ってあげようと思って、帰り道に舐めても美味しいはちみつのリップと、金木犀のボディクリームを買った。

なんとなく、来週を待つともう会えないような気がして、木曜日に予定を立てて。

火曜日に、祖母は深い眠りについた。

 

夕方に、母から「そろそろ」と連絡があって、

急いで向かえば立ち会えたかもしれないけど

少し考えて、別にいっか、って思って、

いちご大福を買って、家に帰ることにした。

 


祖母は身なりを気にするかわいい人だから

事切れる瞬間の生物的な反応を皆に見てほしいとは、思わないんじゃないかと思ったから。

祖母のことが大好きなことも、祖母へのありがとうも、祖母との最後の時間も

意識がある祖母と、祖母のたましいと、ちゃんといっぱいお話できたって思えたから。

映えを重視したいちご大福を、写真も取らずに頬張りながら、おばあちゃん大好き!ってお祈りした。

 

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会うたび溢れるほど愛をくれる人はもうこの世から居なくなっちゃったけど

貰った愛や祖母との記憶は、私の価値観として一緒に生きていくことができる。

だから祖母が愛してくれたことで、私は私を生かさなきゃいけない理由も増えた。

大好きな祖母が大切にしてくれた私は、祖母の価値観を血肉にしてこれからも私を生きていくべきだ。

祖母の人生を讃えるためにも。

 

 

ミスドハンバーガーもファミマのカフェラテも牛そぼろもお稲荷さんも美味しく食べるし

ダサいレクリエーションには参加をしないし

80歳になっても「男の人からアピールされちゃった」って困れるようなキュートおばあちゃんを目指したいよ。まだまだ、果てしなく遠い理想だ。

 

 

たくさん愛してくれてありがとう。

世界でいちばんかっこよかったよ!

BUTTER-読書感想文

これは何

2009年。複数の男性から結婚をにおわせ金をだまし取り、そのうちの数人を自殺等に見せかけて殺害した、として世間を騒がせた首都圏連続不審死事件の犯人『木嶋佳苗』をモデルにした小説。本作では犯人の名を「梶井真奈子」と変えている。

男たちから次々に金を奪った末、三件の殺害容疑で逮捕された女、梶井真奈子。世間を賑わせたのは、彼女の決して若くも美しくもない容姿だった。週刊誌で働く30代の女性記者・里佳は、梶井への取材を重ねるうち、欲望に忠実な彼女の言動に振り回されるようになっていく。濃厚なコクと鮮烈な舌触りで著者の新境地を開く、圧倒的長編小説。「木嶋佳苗事件の闇について、柚木さんでなければ描けなかった。この本を読んで、女性と話をするのが怖くなった。」(佐藤優氏)

 

なぜ手に取ったのか

去年読んだ本「つくるたべるよむ」(各方面の「おいしい分野」で活躍されている方の「食」にまつわるオススメが掲載されている本)の中で「おいしい小説」として紹介されていたことがきっかけ。

  • 表紙イラストが好みだった
  • どう「おいしい」と結びつくのか気になった
  • 「ああ、あの事件の」とぼんやり知っている事件だった
  • 「若くも美しくもない女が、男たちの金と命を奪った――。」なぜ…と気になった

 

良かったところ

  • 本を読んでいるうちに、主人公と同じ目線で「梶井真奈子」の魅力がわかってくる。厭な奴だし、決して同意は出来ないけれど、彼女に夢中になってしまう人の気持ちが少しずつ理解できるようになってくるのが面白い。それが最初はカリスマ性だったが、どんどん現れる彼女の本性は不完全で、カリスマとは程遠い人間臭い姿に、余計に興味を惹かれた。
  • 殺人犯の話ということで、ミステリーやサスペンス的な展開を想像していたが、どちらかというと女性の友情や仕事など、思わず頷いてしまうような「女性の葛藤」が描かれているため、女性が読んで面白い小説だと思った。
  • 「梶井真奈子」が話す料理の描写がとにかく美味しそうで、どの料理も食べてみたくなる。レビュー通り食事の表現がとても魅力的。この本を読んでエシレバターのサブレを買いに行ったし、クリスマスは銀座ウエストのバターケーキを買った。物語の言葉と答え合わせするように実際の味を確かめてみるのは、なかなか楽しい経験だった。2度おいしい。
  • 「梶井真奈子」の言葉は、女性が女性らしくある為に「当たり前に」我慢していることをケロッと否定するような自由さがあって、その言葉に何度が気持ちが軽くなった。

気付き

「なんでこんな人が好かれるんだろう?」
世間一般論から外れた、なんだか得体が知れなくて恐ろしいコト、と思ってしまうと、彼女のことをまるで特別な能力者のように感じてしまうけれど、ひとつずつ紐解いていけばその先には「不格好な人間」がちゃんといるだけだった。いろんなことを決めつけられてしまう生きづらさみたいなものを改めて考えなおすきっかけとなる作品だった。
 

こころに残ったことば

いつも一人だったのは、恋をしたり美味しいものを食べるのに忙しくて、トイレに行ってなぐさめ合ったりするようなべたついた友達なんか必要なかったのよ。たくさんの男の人に支えられていたせいで、私はいつまでたっても世間知らずのお嬢さんだった。

他人の体型が変わっただけでよくもまあ、あれだけ心を乱せるわよね。どいつも、こいつも…。どれだけ他人が気になるのよ? 他人の形がどんなふうか、他人がその欲望を開放しているかしていないか。そんなことで不安になったり優越感を持ったりするなんて、異常だわ。他人の形が、自分の内側で起きていることよりも、ずっとずっと気になって仕方がないっておかしいわよ